平成医政塾は、平成18年12月に、植松治雄先生が、日本医師会長を退任されて、将来の医師会活動を担う若手を育てる目的に設立され、塾長として医政や医療制度の勉強会を通じて人材育成に尽力されてきました。平成30年3月に、植松塾長がご逝去された後も塾長に戴き、そのご薫陶を受け、志を引き継がれた会員の皆様の、医政に対する真摯な情熱に支えられて今日まで参りました。
植松塾長の業績は言うまでもありませんが、私は、昭和59年、塾長が堺市医師会長になられたときに、理事に就任して以来、先生がお亡くなりになるまで、間近で薫陶を受け、理念に裏打ちされた力強い行動力を目の当たりにし、それを手本に会長として堺市医師会、府医代議員会議長として大阪府医師会の会務運営を行ってきました。
そして昭和、平成の時代を経て、医師会のありかた、医政のありかた、その運営のむつかしさを誰よりも深く体験してきたと自負しています。
私たちは、今、植松塾長最後の教え子として、その医療に対する理念と姿勢を若い人々に伝えると同時に、その若い人々の新しい活躍を守り、応援していかなくてはなりません。
平成の時代は、私たちの暮らしの質が大きく変わった時代だったと思います。特に経済成長の停滞と、IT分野の目覚ましい発展により、暮らし方も医療の現場も大きな転換点を迎え、従来の在り方では対応できない新しい価値観によって、社会の仕組みが大きく変換してきました。
直近では、2025年問題を間近に控え、少子高齢化の進展に伴う、地域包括ケアシステムの構築は、在宅医療、在宅ケアの整備を中心に、人的、物的資源の投入をはかりつつ、早急に積極的に取り組み、医師がリーダーシップを構築せねばならない事態となっています。
しかし、我々が従事する医療の環境は、ほぼすべてが政治の場によって決着がつけられます。国家財政はもとより、今後も政治的影響力からは免れようもありません。
ですが、私は長い医師会活動の中で、仲間の力が、どれだけ大きなものであるかも実感しています。一人では限りがあることでも、おなじ理念の下に結集し、知恵を絞りだして共に行動を起こすことができれば、政治の場に確かな結果を反映させることができるのです。
今、時代は平成から令和に移り変わりました。
私は「誰でも安全で安心して受けられる医療・介護」こそが、令和を生きる国民の幸福をかなえる基となる「人の健康」を守れる制度であり、ひいては国を維持・発展させる根幹であります。限られた諸条件の中にあって、最大効力を発揮できる医療制度の構築は、我々医師にしか発案できません。
この新しい時代、そしてそのまた次の時代へ、よりよいものを残せるよう、ゆるぎない医師としての理念と行動力を武器に、守るべきは守り、改善すべきは改善し、常に最善を尽くし続ける覚悟でこれからも進んでいきたいと思っています。
今後とも、ご支援、ご協力賜りますようお願い申し上げます。 |